映画『ステキな金縛り』三谷幸喜 2011年10月29日公開

高熱を出し、インフルエンザの疑いがあるため、一昨日から自宅近くのホテルに閉じこもっていた。小さい子どもがいるので移す訳には行かないのである。

 

病院で診察を受けたところ、インフルエンザ検査ではない模様。無事に熱も下がり始めて回復してきたものの、ベッドの中で眠れず、時間を持て余している。資料がないので仕事をする気も起きない。


というわけでアマゾンプライムで映画観賞。

選んだのは三谷幸喜監督の『ステキな金縛り』。


笑いありホロリと涙あり。こういうのこそエンターテインメントだよ。俳優さんが大御所ばかりで、全てのキャラクターが魅力的。言わずもがな、西田敏行さん演じる落ち武者こと幽霊更科六兵衛が面白い。脇役ではあるが、小日向文世さん演じるあの世の管理局公安所属の段田譲治というキャラクターも良い。三谷幸喜作品に数多く登場する小日向文世さんは観客を引き込ませる不思議な魅力がある。


時折流れるアルプス一万尺(ヤンキードゥードゥル)の曲は、主人公の亡き父親が好きだったという『スミス都へ行く』の劇中歌とのこと。あの世の段田譲治もこれは名作だと唸る。こういうところにさりげない三谷幸喜の趣味が反映されているのが嬉しい。

 

残念な点もある。多くの邦画に言えることだが弁護士の視点からすると、コメディであるという点を差し引いても法廷描写が現実からかけ離れていて見ていられない。もし現実の裁判で幽霊が証人として呼べるとなったならばどうしたか、全くもって突拍子の無い話ではあるが、法律家に本気で考えさせてみたら(ギャグとして)面白いのではないか。第一審が必要性なしとして取り合わず、ところが控訴審の変人で有名な裁判長が審理不十分で差し戻し、やむを得ずに第一審で応じることに…という経過くらい挟んでもらえると手続的にはせめてものリアリティがある。なお、個人的には証人尋問でなく検証手続になるではないかと感じる。

 

楽しい映画を鑑賞して元気を取り戻しつつある。
帰宅したらシナモンティーを飲もう。

映画『MERU/メルー』 ジミー・チン、 エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ 2015年8月14日公開

映画『MERU/メルー

ヒマラヤのメルー峰にそびえ立つ岸壁、通称シャークスフィンへの初登頂を記録した山岳ドキュメンタリー。 

f:id:bamboogrove:20190216221158j:plain

(C)2015 Meru Films LLC / MERUより引用

登山家がわざわざ危険でしかない山に登る気持ちは全く理解できなかった。この映画を見るまでは。

 

登頂を成功させるためには、登山への並々ならぬ情熱に突き動かされながらも正確にリスクコントロールできるだけの冷静さが求められる。しかし、本当に冷静な人間なら登山などしない。登らなければリスクが生じることもないのだから。情熱と冷静さのせめぎ合いが見どころだ。頂上目前でリスクを考慮して撤退の決断を下すシーンはとても印象的。その正確な判断がなければ生き残ることができない。

 

再度の挑戦により這々頂にたどり着き雄叫びをあげるシーンは猿人の進化の瞬間を彷彿とさせる。人類の進歩は、先陣をきって未開の地へ足を踏み出す者によってもたらされるのだろう。前人未到の頂に魅せられる登山家の気持ちに触れることができた。面白かった。

 

ぬくぬくとした布団の中で感慨にひたる昼下がりであった。

 

マングローブの生存競争

職場の旅行で西表島を訪れ、仲間川でマングローブを観察した。

 

マングローブは、汽水域の塩分濃度でも耐えられる樹木群をいう。一見どの樹も同じように見えるが、船首の説明を聞くうちに見分けが付くようになる。船首曰く、マングローブの樹木には6種類があり、ここではオヒルギとヤエヤマヒルギが8割を占める。

 

f:id:bamboogrove:20190214225211j:plain

仲間川のマングローブ


ヒルギは赤い筒状の萼(がく)を持つことから別名アカバヒルギともいい、幹が直立している点が特徴である。背が高く、水域よりも陸側の辺りに群生するという。


ヤエヤマヒルギはオヒルギよりも背が低く陸側だとオヒルギの葉に遮られて日光を得ることができない。そこでヤエヤマヒルギが生える陸側よりも水域側に群生するという。


汽水域は、海水が入り交じるためにプランクトン等が多く存在し土壌の栄養価は高いものの、植物にとって毒となる塩分濃度が高い。

ところどころ葉が黄色く変色している箇所は、樹がその葉に塩分をため込んでいるからだという。塩分をため込んだ後、葉を枯らして落とすことで樹全体の塩分濃度が高くならないように調整する。落ちた葉をかむとしょっぱい。

 
根が水面よりも高いのは、根を空気に晒して直接呼吸するためだという(呼吸根)。また樹木全体が斜めになっても倒れることがないように根を腕のように伸ばして樹木全体を支える役目も果たす(支柱根)。この変わった姿にも当然に生存競争故の理由がある。彼らが生き続けるための姿なのだ。


この辺りで採れるヤエヤマヒルシジミシジミというには非常に大きい。残念ながら美味しくないそうだ。

f:id:bamboogrove:20190214225251j:plain

人の掌ほどの大きさもあるヤエヤマヒルシジミ

 

マングローブクルーズのクライマックスは巨大な板状根を持つ大木サキシマスオウだ。

 

f:id:bamboogrove:20190214225237j:plain

天然記念物にも指定されている大木サキシマスオウの全貌

ここまでの大きさになるのに、推定で400年を要するとのことである。

f:id:bamboogrove:20190214225218j:plain

サキシマスオウノキの巨大な板状根

 

進化の奇跡、大自然の生命力に感服した。


イギリスの進化生物学者リチャードドーキンスは、自身の著書「利己的な遺伝子」において、我々生命体が自己複製子として利己的に振る舞う遺伝子の乗り物だと論じる。遺伝子には自身が生き残るための暫定的な最適解が生存競争の末に反映されている。

 

旅行中、とても素敵なトートバックを見つけたので購入した。

f:id:bamboogrove:20190214225303j:plain

西表島大原港で購入したトートバッグ

 

無敗弁護士

珍しく特許訴訟に携わった。


相手方についた代理人は多くの著名特許訴訟判決に名前を連ね、多数の論文を発表する「超」大物弁護士である。だいぶ高齢だが、法律事務所のホームページに掲げられた自己紹介では、特許訴訟被告事件で、なんと「負けたことがない」と豪語している。本当かどうかは知らないが。訴訟に縁がない方のためにご説明すると、司法統計上、全訴訟で原告の請求が認容される割合は80%以上である。特許訴訟では原告の請求が認容される割合20%前後と低いものの、2017年5月15日付日経新聞朝刊によれば和解した場合も含めれば原告の実質的勝訴率は40%超に上るという。それゆえ、事実だとすればすごいことだ。テレビドラマの登場人物みたいではないか。アメリカの法廷ドラマSUITS第1シーズン第10話では、無敗弁護士トラヴィス・タナーなるキャラクターが登場する。年齢に差があるが、まさにそれだ。

 

 

f:id:bamboogrove:20190216174843j:plain

(C)2011 Universal studios / SUITS / season1 episode10 より引用


相手方に負けナシの大物弁護士がついたら、若輩弁護士など萎縮してしまい震えあがってまともに闘えなくなる、そんなふうに思われる方もいるかもしれない。しかし、弁護士は戦闘民族である。そんな大物弁護士が相手方についた場合、寧ろ一旗あげてやろうと思う弁護士が殆どではないか。私も例にもれず、闘争心に火をつけられてしまい、相当な労力をかけて取り組んだ。


労力をかけた甲斐あってか、訴訟はこちら側に極めて有利に進行した。技術説明会を経た後、裁判官の心証開示により、ほぼ勝訴が確実となった。

 

しかし、ここで負ける大物弁護士ではなかった。強行姿勢だった相手方本人を猛烈に説得し、こちら側に花を持たせる格好で和解をまとめ上げてしまったのだ。私としては是非とも判決を取って負かしたいところではあったが、依頼者の利益を最優先に考えれば和解が望ましい。先方の提示する条件を飲むことにした。


どうやら大物弁護士の「負けたことがない」という自己紹介は判決に限ったものという趣旨のようだ。前述のとおり、判決に至った特許訴訟に限れば原告の請求認容率は20%前後に過ぎず被告側で棄却を求めることは比較的容易い。事件の見立てが正確であり、依頼者を説得する能力に長けているという点では「良い弁護士」ではあるのだろうが。

とはいいつも、著名な弁護士を相手に勝訴的な和解を勝ち取れたのが嬉しいから記事を書いているのである。気分だけはハーヴィー・スぺクターだ。

 

f:id:bamboogrove:20190217112026j:plain

(C)2011 Universal studios / SUITS / season1 episode10 より引用

 

沖の干潟遥かなれども

昨年末、親友が亡くなった。大学で知り合った十数年来の友人で、卒業後は離れたところに住んでいながらも定期的に顔を合わせていた。彼はいわゆる「趣味人」で幅広い分野に造詣が深い。ぼくはそんな彼の心の豊かさに憧れていた。大人になると、利害関係のある人間とばかり付き合うようになるが、彼と話しているときは利害を離れた文化的な世界に入り込むことができた。もう二度と会うことができないiと思うと、身体の一部を失ったような痛みを覚える。


死因は突然の心臓発作である。30代という若さ、奥様が妊娠中での出来事だ。幸せの最中だったに違いない。これから生まれてくる子どもを自分の手で抱っこしたかっただろうと思うと、やるせない、たまらない、悔しいといった言葉では表現し尽くせない気持ちになる。いい人ほど早く逝くとも言われるが、本当にそのとおりだ。なぜ、今、彼でなければならなかったのか。


徒然草第155段では、死は自覚しないうちに背後から迫ってくることを、いつの間にか潮が満ちていることに例えている。

 

四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。

死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。

人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。

沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。


穏やかでない心を鎮めるために、今更ながら、ブログを始めることにした。趣味人であった彼の真似事だ。